どうも、矛盾の語源、最強の矛と盾を売る商人に、ではそれをぶつけあったらどうなる? と聞いた男に盾を放って、じゃあ試してみるか!? と矛で追い回したい爆烈Qです。盾でブン殴られるんでしょうけどね。練度の問題ですよ、練度の。
はてさてそんな屁理屈芸人の迷い込んだ考え過ぎの迷宮へようこそ。今回は趣向を変え、その矛と盾のどちらが興奮するのかを争わせてみたいと思います。
ノーブラvsノーパン
これは妄想の話です。ちょっと暗めの静かな居酒屋、掘り炬燵型のテーブル。前々から気になっていた女性が目の前で笑ってくれている。少し経って彼女がトイレへと立ち、その残り香というか存在の残像が脳内を擽っているのを楽しみながら酒に口をつける。視覚の外から彼女戻って来て、膝をつき、座る。コンサバーティブな黒のパンツスーツ。太極のように白い首元には小さな鎖のネックレス。
さあ彼女が、トイレに行って帰ってきたそのとき、何故か、ノーブラになっていた、もしくはノーパンになっていたとしたら、どっちが興奮するでしょう。…いやなんですかその目は。変態的な話をしているわけではありません。これはふいに訪れた文学的量子力学への旅路なんです。そんなことは存り得ない。ただそうなったときにどう考えるべきなのか、を妄想しておいて損はないのです。
前提として、もちろんどちらも、視認できるものではありません。スーツのジャケットを脱ぐこともなければ、映画「氷の微笑」(古くてすみません)よろしく足を組みかえるわけでもありません。組みかえたところでそれはテーブルのいやさズボンの下。北風と太陽を思い出して店員さんに暖房を強くしてもらっても彼女の飲酒量が増えるだけです。そうなるとトイレに立つ回数が…むむっ、それはそれで…なんていうのはまた別のお話。
ノーブラの場合
たまに外を歩いているとありますよね、外国人やおばあちゃんが胸のポッチを突起させている時(とっき)が。そういうのではありません。いま目の前にいるのは麗しの23歳(25歳、26歳でも可)推定Dカップ。いや、男のカップ選球眼は信じられたものではないので、以外にC、思いもよらぬEの可能性も。まあ、それくらい。少しだけジャケットが窮屈そうにも見えます。ボタンを外したら、プ、と両サイドに弾けるでしょうかミニマムケンシロウ。そんな彼女が、ノーブラなのです。正面からはわからない。ブラの紐が肩口から覗くほど襟元も開いていない。もしかしたらテーブルに肘をついて前かがみになった瞬間、上からの視点であれば谷間の宇宙へ航行することも可能かもしれませんがそこは光の届かぬ場所。未だ見ぬそのやわらかさが重力に身を委ねていながらも、スーツ、そしてブラウスに寄せられているのです。そしてそのふくよかな山の山頂が、ブラウスに直接ふれている。まるで山が天を支えているかのよう。右の手が動いて左のピアスをさわり、その腕に大陸が移動させられブラウスの白地図に桃色の山頂が航海図を描いていくのです。おお! アトラス! からのパンゲア!
ノーパンの場合
たまに外を歩いてるとありますよね、とはならないのがノーパン。小さい男の子と小便小僧くらいのもんです。その二つはもはや同義語。なにくわぬ顔、なにくわぬ姿、なにくわぬ物腰。それでもパンツの下はノーパンツ。いやさ言わしてもらおう“ノーパンティー”と。地べたには布二枚、が世の理なはずなのに、隔てているのはスーツのパンツのみ。ブラジャーの場合締め付けが嫌とか実際に忘れて来たなんて話も聞くがパンツでは聞いたことがない。どうして? なぜ? その感情が脳髄を擽ってくる。Tバックでもない、ふんどしでもない、そしてラインも出ない。地べたとの隔たりが布一枚なんて、女子校生とかが自転車に乗るとき、スカートを丸め込まないで、UFOが山の頂上に降りてきたかのように、直にサドルに座ってないです? とパイルダーオンするアレ以外にないでしょうこんなこと。おお! アトラス! からのロケットパーンツ!
装着に対しての考察(妄察)
立ち姿、その恰好になってもらったと仮定して、どちらに違和感があるかと言われればブラジャーをしているのにパンティーをはいていない方でしょう。ノーブラに関しては例えば寝るときパジャマの下にブラジャーはしませんという女子は多いようですし、パンティーの果たす仕事というのは秘密の花園を隠すというだけのもではありません。ただノーブラの場合、ノーブラであることを悟られる可能性がつきまといます。女性の視点に立ってみると、周囲に気づかれるかも知れないという客観視と、周囲は気づいていないだろうなという主観視とに二分され、そこにはMっ気、Sっ気が発露しているようにも感じられます。
結果
テレビなどでもたまに見ることができる上半身に比べて、下半身はパンドラの匣、満員電車や自転車の二人乗り(ダメ! 絶対!)でも触れる可能性があるノーブラに対し、神秘のブラックボックス(パンドラの匣ちゃうかったんかい)であり宇宙でもある(胸の谷間が宇宙やったんと違うんかい)ノーパン。陽と陰、実体と虚構、直接と間接、理系と文系、永遠に交わることのないその二つは、野球とサッカーどっちが面白いかを論じるほどに無意味なことなのかも知れません。それが一つの身体に混在している女性こそが罪。でもここで無理矢理にでも軍配を挙げるとしたら、
ノーパン
ではないでしょうか。おおっと圧倒的有利かと思われたノーブラがなぜ。そこはやはり考え過ぎの迷宮、このコはいま、なぜノー○○なんだろう、と考えた時に、広がる妄想の奥行でわずかに勝利。ノーブラの場合はそういうことを考えながらもどこか、胸のあたりを目で追っている自分がいるはずです。まるで高層ビルの如し。いやこれは構想ビルと言ってもいいかも知れません。階を上がることをイメージしてしまう。次のステップに行きたい欲求に思考が汚染されてしまうのです。最上階を目指して…。それに対してノーパンは広大な平屋。真正面からではその広さが特定できない。いったいこの土地にはいくつの部屋があるのか。襖をあけてもあけてもゴールにたどり着けない、いや一体ゴールとは何なのかを自問自答してしまう耽美のラビリンス。あなたが行きついた先と思ってるその場所は、もしかしたらこの迷宮の入口なのかも知れません。
勝敗に納得のいかない方もいらっしゃるかも知れません。自分は断然ノーブラ派だ! いや、その主張は正しいのです。考え過ぎの迷宮は全ての人の心のなかに存在しているのですから。でも女性は胸元に目がいったことを結構な確率で認識しているといいます。その下心を覗かれないように、気をつけて下さいね。ノーパンティー、ノーブライフ。爆烈Qでした。