ラブコラムニスト・ラヴィンみやです。こんにちは。
過去に付き合った男性の数人が、私を抱く時に言いました。
「1つになっていい?」
その時、彼が射精したいのではなく、わたしと1つになりたいのだと、抱き合いたい、触れ合いたいのだと知りました。
射精したいこと、抱き合いたいこと、女性を使って刺激的なゲームをしたいこと、は似たように見えて別なのね。
「女性には愛が必要なのだ!」と書かれた広告
「女性には愛が必要なのだ!」と書かれていた広告を見かけたときに、世間的には、「女性のセックスには愛が必要」「女性には愛が欠かせない」となっているけれど男性にも愛は必要でしょう、と感じました。
そろそろ、男性も自分のなかにある「愛」に気がついていい頃なのではないでしょうか。
「射精」や「快楽」ではなくて、心を満たすセックスを求めていること、女性を愛し、愛されることを望む自分自身に気がついていい。
ぬくもりを与え合うだけで癒されること。
ただキスをして、抱きしめ合うだけで、触れ合うだけで心も体も癒され満たされること、そしてそれを求めていることを許していい。
セックス=性欲、だけではない
女性が軽いセックスを拒否するのは、心が伴ってはじめて体も満たされることを体験で知っているからであり、
そこをどうしたらいいんだろう?とこねくり回すのはあまり意味のないことに思えるのです。
男性の場合は、体が満たされてると心も満たされる、という違いはあれど、行き着くところは同じ場所。
触れ合いたい、抱きしめあいたい、のは人間の欲求の一つ。
でもなぜかそれを男性が自覚することはあまりなくて、射精の欲求も触れ合いたい欲求も全部一緒くたに「セックスしたい」という欲望に変換されてしまう・・・。
ただ触れ合いたい欲求に「セックスしたい」という蓋をしてしまう。
現在のセックスは「射精」するために行うのが主流だから、ただ触れ合いたいだけなのに、いちいち射精まで行かなくちゃいけない。
でもセックスと触れ合いたい欲求は別。
触れ合いたい気持ちが満たされない上に、そんなに求めていない「セックス」をしなくちゃいけなくなって、それが恋人や夫婦間の距離を生んでしまうこともあるのではないかと感じています。
すぐ「ヤレる女」を求めて
どんな女がすぐヤレるか、どんな女がすぐ落ちるか、という話題はあまりにも稚拙で、一体自分たちが本当に欲しているものは何なのかということに対しておざなりになってしまいがちだけど、男性の「性」の方向はそちらに誘導されてしまっています。
男性が自分は「性欲のカタマリ」で「それを解消しなかればならない」と思い込まされるほど、セックスはただの「射精」になる。
本当はただ、ぬくもりを分かち合って安心したい、という気持ちに気がつかずに、へとへとになるまで走らされてしまう。
「男性の性とはそういうものである」と、男も女も思い込まされて。
仮にすぐヤれて、それで自分の何が満足するのか。
注目すべきはそこ。
一瞬でも「できる男」になれた気がするのか。
一瞬でも「強い男」になれた気がするのか。どの欲が満たされているのか。
男には有り余る性欲があり、男にはどうにも女性を抱きたい時がある。
それは文化的な情報から教わって身につけてきたこと。
それを捨てたところに、男と女が本当に分かち合うことのできるセックスがある。
あなたの性欲は、ホンモノですか?
だだ漏れのポルノに勝手に刺激され、勝手にそういうものだと思い、ただそれに従っているだけで、という可能性や
本当は、セックスではなく、ぬくもりや触れ合いたい欲求、もっと言うと愛を求めていることだって多々ある。
だけど、そんな少女趣味的な「愛」などという目に見えないことを求めることの不確かさに「愛」という言葉の代わりの分かりやすい「セックス」を求めている男性もいるのではないでしょうか。
男性が、社会的に何かを追うことを求められ、疲れている姿は、雄々しくもあるけれど、もっと楽ちんに生きてもいいよね♡
と感じます。
あなたのセックスと人生が満たされたものでありますように。