あなたにとってセックスとはなんでしょうか。欲望を吐き出すもの?
私は長いこと、こう思っていました。「女とは男の欲望を満たすものである」
「男の欲望を満たす女だけがいい女である」と。
でもそれは違うことに気がつきました。
男と女は互いに補い合うものである。
男の余ったペニスで、女の穴であるヴァギナを塞ぐ。
女が感情の代弁者で、男は思考の代弁者である。
女が柔らかさの表現者で、男は硬さの表現者。
全てが対で、そこに優劣はなく、違いがあるからこそ、補い合っている。
そこに優劣や、自分の飢えや欠けを都合よく埋めるために使おうとすること、敵対を持ってくるからこじれてしまう。
でも本来は、補い合うためにいるのだから、敵視ではなく力を与えあえばいいんですね。
「イク」の3段階
もしも、セックスが男性の欲望を吐き出すものなら、女性にとっては満たすものになる。
男性が優位に立ち、女性をもののように扱う文化は今もあります。
それは男性に湧いてきた「欲望」をめんどくさいことなく吐き出せるようにする男性のご都合主義なシステムなのかもしれません。
女性はそのための「穴」でしかない。と考えることは、男性側にとってはラクになる考え方。
自分たちには「振りほどけない欲望が与えられ、それとともに、吐き出すように『穴まで与えられている』だからこの世界の中心は男だ」と。
けれど、深い悦びは女の方に与えられた。クリトリス、は今の所、快楽を得るためだけについている器官。(とされている)
だとしたら、「女は全身全霊で悦びを表現し男に伝え、男を悦びへといざなう存在」かもしれない。
女性のイクには3段階あって、クリトリス、膣、そして天にも昇るまさに「昇天」があります。
「昇天」するとき、男性も言葉では表現できない安堵や一体感を感じるそうです。
そんな体験をすると、人は生かされている、自分の意思だけで全てを支配しているわけではないことを実感せざるをえなくなります。
挿入してこすって射精して終わり。それはとても退屈で、濡れたそばから乾いていくのは、男の「コントロール」の世界だから。
人と人との縁は得体の知れない不思議なもの。出会いを意図しても、誰と出会うかは選べない。「昇天」するオーガズムも、人間の意図を超えたところにあるもの。
セックスはそんな得体の知れない何かにゆだねていくことでもあるのです。
挿れてもすぐに動かない
見えない何かにゆだねていく最初のステップは、自分のコントロールを手放し、ペニスを膣に委ねる。
その時にお互いの性器をお互いの性器で感じ合う。膣はペニスを飲み込んで、ペニスは飲み込まれていく。
丁寧に作られた料理を舌でゆっくりと味わうように、膣でペニスを、ペニスで膣を味わう。
それだけで、女性はイってしまえるほど快感がやってきます。
何かを「起こそう」として起きるのではなく、それは「やってくる」感覚。
男性にとっては、膣がペニスに絡みつくので、より密着し、より悦びは深くなります。
射精しないセックス
男も女もいつの間にか男性が射精することがゴールになっている昨今のセックス界。
妊娠を求めているならそれはアリだけど、つながりのセックスに射精はなくてもいいかもしれません。
かつての皇帝の中には精液を漏らすことは、自分の生命力を漏らすことだと考え、「接して漏らさず」。
どんなに挿れても射精せずに女性と「気」を交流させるだけにとどめ生命力を永らえさせようとした、と言います。
女性のオーガスム、イクことを「気をやる」と言い、相手に自分の英気を与えることだと考えられていました。
男性が精液を女性に与え、女性は目には見えない気を与える。その循環がセックスです。(日本では目合い。また、娘を結婚させること=めあわせるとも言い、結婚=セックスだったことがうかがい知れます)
いつまでも硬いまま、女性を悦ばせて自分の力強さを確信していったのかもしれない射精しないセックス。一度おためしあれ。
今日の連載ラブコラムは最終回でした。書いたもののほとんどは即使えるテクニックではありませんでしたが、たくさんの方に読んでいただくことができました。
あなたのセックス観に少しでもメスを入れられてたら嬉しいです。
ラブコラムニスト・ラヴィンみやのコラムを読んでいただいて、ありがとうございました。
これからも自分とお相手にとって最高のセックスを楽しまれてくださいね!
あなたに幸あれ♡