あなたは、セックスがしたくてたまらないのでしょうか。
あなたは、女の体が欲しくてほしくてたまらないのでしょうか。
それとも、好きな彼女の触れたいのでしょうか。
愛する女性を気持ちよくさせたいのでしょうか。
こんにちは。ラブコラムニストのラヴィンみやです。
日本人である私たちは、セックスをほとんど「ポルノ」から教わります。
刺激的で、男の想像をカタチにした「創られたエロ」を参考にします。
アダルトビデオはディズ◯ーランド。
誰かの想像の世界にはお姫様がいて、喋る動物たちがいて、魔法が使えます。
カラフルな街並は、普段暮らす街とは違います。
普段の街ではカボチャは馬車にならないし、ネズミは二本足で立たないし、アヒルはしゃべりません。
アダルトビデオはそう言う世界です。
女性は強姦でイったりしないし、家に尋ねてきた水道屋さんを誘惑しません。
愛撫はそこそこの激しいだけのピストン運動でイかないし、潮吹きは気持ちよくありません。
ディズ◯ーランドは創られた世界だとわかっているのに
アダルトビデオの世界を虚構だと思わない人は男女問わず多いのです。
アダルトビデオが悪いわけではありません。
マジメにお仕事としてファンタジーを作られているのですから。
そのファンタジーを現実のセックスで再現するからおかしくなるのです。
アダルトビデオの中に観られるのは、肉体の動きだけです。
したいか、したくないか、悦んでいるのか、苦しんでいるのか、くらいはわかりますが
心の動きまではわかりません。
だけど実際に向き合うのは、心をもった生身の人間です。
それぞれ、性格も体つきも異なる一人の女性です。
男性が気持ちよくなりたいだけのオナニーみたいなセックスをしたとしても、それにつき合うのは、生身の人間です。
セックスの人数や、回数にこだわる幼稚な男性は、相手を生身の人間だと観ていませんよね。
そんな男性が言う「女性を気持ちよくさせたい」のも己の自尊心をうめたいからです。
男としての勲章が欲しいからです。
無闇にいろいろな女性を抱きたがる男性ほど、それを「性欲」のせいだといいますが、
いろいろな女性を抱きたがるのは、自分と違う女性という生き物を受け入れ、リスペクトしていないから。
その割に自分のことはリスペクトして欲しくて、知識を披露してみたり、料理を自慢してみたり
「自分」という生き物に何かをプラスしなければ、必要とされない、愛されないと恐れてしまっている。
女性を数で観ている男性が、そんな自分の心に気がつけるはずもなく、ただただ、女性を記号でみて数だけを増やしていく。
アダルトビデオでは、男の在り様までは教えてくれません。
実際のセックスに必要なのは、男の在り様、それなのです。
お互いが気持ちよくなるセックスに大切なこと。
それは、包み隠さずに、自分自身をさらけ出すということ。
裸になるには、覚悟がいる。
自分をさらけ出すには覚悟がいるのと同じように。
あなたは女性の目の前で、自分を守らずにさらけだせますか?
「テクニック」という武装もなく、ただの自分をさらけ出せますか。
遊びでジャンクなセックスもたくさんあって、それはそれでいいのでしょう。
けれど、それはやはり、勃起してやまない20代前半まででしょう。
真剣に目の前の女性と向き合ってどうしたら目の前の女性が気持ちよくなるのかを、ゼロから積み上げていく。
人間同士としての付き合いができなければ、セックスではなくてオナニーに過ぎないし
知識や思考に頼りすぎていたら、ふたりで絶頂にたどりつくことなんてできない。
セックスは、恥も外聞もなく、さらけ出しあって、認め合うことや受け入れあうことを体感するもの。
かっこつけたり、慣れた振る舞いをしたり、外側だけ整えたところで、心はつながれない。
心がつながれなければ、満たしあうことなどできない。
心の感度はそのまま、体の感度につながります。
自分をさらけ出すには、自分自身のすべてを認め受け入れている必要があり、それこそが女性が惚れる男というもの。
それこそが男の在り様なのです。
テクニックや、こなれた雰囲気ではなく、自分の強さも弱さも認めている人に、女性は抗えない魅力を感じるのです。
そして、そんな男性にこそ、抱かれたいと思うのです。
口先だけの、男らしさなど、無用の長物でしかない。
「オレのセックステク」を自慢する男に、女性のカラダは疼かないのです。
アダルトビデオのセックスのコピペでは女性のカラダは芯から燃えないのです。
アダルトビデオの延長線上にある、オナニーのようなセックスから、互いをリスペクトしあえるセックスにシフトして
自分自身の人生そのものをしっかり味わってみてはいかがでしょうか。