こんにちは、ラブコラムニスト・ラヴィンみやです。
「オレのセックスはなかなかのもんだぜ?」と思っている男性ほどイマイチだったり、女性の反応を見ていなかったり。。。。
最近、飲食業界では「俺の〇〇」が目白押しですが「俺のセックス」は果たして?
オンナを速乾させる「俺のセックス」
自分のセックステクニックに自信がある方、というのはある意味「女ってこうだろ?」「こうすると気持ちいいんだろ?」と過去の実績から積み上げた「俺のセックス」があるんですね。
セックスは「俺のセックス」の披露の場。
女性の体は「俺のセックス」を見せる舞台。
「どう?俺の。最高でしょ?」
「どう?俺の。気持ちいいでしょ?」
視点はいつも「俺」「オレ」「おれ」という自分。
そして、褒められたい。讃えられたい。
「あなたのセックスって最高ね?」と言われたい。
褒められたいだけのつまらないセックスは、どんなに濡れててもオンナを速乾させます。
そこにはコミュニケーションがなく、まずい料理を残さず食べさせられて、且つ「褒めろ」と言われているようなもの。
もちろん、良かれとおもってやっているのだろうとは思うのです。
それ以外のコミュニケーションの方法を知らない、わからない、だからそうしているのかもしれません。
元来男性は自己評価が高い生き物だと言われていますから、自分のセックスに自信を持つことは悪いことではないのです。
ただ、鉄壁の「俺のセックス」には「女性」の入る隙がなく、女性の入る隙のないまま冗長してしまうかもしれないのです。
相手あってのセックス、という視点
どれだけ甘い言葉を言っても、どれだけ優しさを装っても自分にしか興味がないことは丸わかりなのが「俺のセックス」という所以です。
お互いの境界線がなくなるほどのエクスタシーを感じないのならば、それはジャンキーなセックスで、もはやセックスとは呼べないかもしれません。
お互いの体を使ったオナニーは、果てた後に虚しさがやってきて、その虚しさを打ち消すために、またジャンキーなセックスを求めるようになる。
飢えれば飢えるほど、乱暴では激しいものを欲し、そして、自分自身も相手も浪費していく。
相手という視点が抜けたセックスは、互いの価値を高めることのない消費行動そのもの。
そしてそこには「相手」がいません。
それは男も女も同じこと。
「俺のセックス」が生まれる理由
男性は特に、セックス=快楽と教えられているから、そこに「人と人としての関わり」や「尊重」というものがない人も多いかもしれない。
女性=性の対象である。
男性は性欲を抑えられない。
男性の下半身は別物。
などなど、男性の「性的欲求は仕方がないんだ」という甘えがまかり通るから、男性に向けたセックス特集に「相手を尊重しよう」などという言葉は書いてはない。
いかにして女とセックスをするか。いかに女を楽に落とすか。いかに女を気持ちよくさせてもう一回とねだられるか。
そんなことばかり。
だからこそ男性視点しかない「俺のセックス」が生まれる土壌があるのです。
だからこそ「俺のセックス」を披露する場になってしまう。
男性は、人と関わるときも常に視点は自分だけですか?
そんなことはないはずです。
相手を尊重し、受けいれ、自分と違えば歩み寄ってわかろうとする。
セックスも、セックスする相手も同じことです。
どうしても、男性は「セックス」というワードが入ると女性を軽視してしまうようです。
「女性とはどう扱うべきか」を伝えるアダルトビデオや動画や雑誌の影響力の強さを物語っている。
女性としては、全く歓迎できるものではありませんけれど。
相手をメインにするだけで
相手の女性をセックスの、自分自身のメインにするだけで、セックスは劇的に変わります。
「女性を気持ちよくして俺を讃える」という、ブーメラン方式ではなくて、完全に相手に与えること。
相手の悦びを何より一番に据えること。
その上で、もしも相手がそんなに悦ばなかったとしても、相手も自分も責めないこと。
お互いいつもコンディションは違います。
なおかつ女性は月経のサイクルで体のコンディションは変わりますから。
その辺も踏まえて、揺れ動くコンディションを頭に置いた上で、相手をメインにする。
そのひとさじだけで、セックスの時間が至福へと変化したのなら、やってみる価値ありますよね。
セックスは愛のゴールではないけれど、
セックスは、最高の幸せをもたらすことができるから。
「俺のセックス」ではなく「二人のセックス」ができることで
お互いにとっての悦びに満ちた時間になりますように。
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